2017/09/10

ポルトガル リスボン【ベレンの塔(Torre de Belem)の歴史の話と聖母マリア像】

2016/04/28(木)ポルトガル旅行10日目。
中で大砲やら映像でベレンの塔(Torre de Belem)の歴史みたいな映像を見た後外に出るとテラスのような場所に出ました~!
真ん中には聖母マリアの像が彫られていました。


ミニチュア模型で言うと、手前の広いところから撮った写真。
建設当時は川の真ん中に建っていたので、船が通り過ぎる際に船乗りたちはこの聖母マリアに航海の無事を祈ったそう。


上の写真で端にいくつかついている丸っこいところから、テージョ川を眺めます。
ちょうど大きな船が通り過ぎていきました(^◇^)
中世、大航海時代もこんな感じの景色でテージョ川を見守っていたのかな?
なんてちょっと妄想。


せっかくなのでここでベレンの塔(Torre de Belem)の歴史のお話です~!
防衛が弱ったテージョ川に軍事要塞の建設をジョアン2世が命じます。
ジェロニモス修道院のために集められた石を使って、軍事建設家のフランシスコ・デ・アルーダ設計の要塞の建設が始められました。
建設中には1,000トンの大型武装船「Grande Nau」(Great Ship)がテージョ川の河口を守っていました。(ちなみに初代日本丸が2,000トン)

16世紀インド交易に使われた船の多くが400トン、大きな艦隊には1つ600トンの船があった
との記載が残っている。1,000トンがどれだけ巨大な船だったか想像できる。

さて、現在は下の絵のように陸地のそばに建っているベレンの塔ですが…


歴史の中で話した通り、大きなテージョ川の防衛のために川の途中にベレンの塔を建てました。(下の図のような感じ)
1519年に完成したベレンの塔(Torre de Belem)ですが、1571年に”強くて難攻不落の要塞の提案があり”その話を受け、”タレットを備え改良された長方形の要塞”が設計されたそうなので、今私たちの見るベレンの塔はこの時に設計されたものがベースなのかもしれないですね。

※タレット:中世の城や城壁などの建築物で、壁から張り出して上に向かって伸びている小さい塔


防衛強化のために建設されたベレンの塔(Torre de Belem)なんだけど、その理由。
テージョ川幅がすごい広く、昔の大砲では射程が届かないとこが多かったのです。
下の図のように陸地側とベレンの塔から大砲を撃てるようにすることで強化したんですね!


下の絵は、1831年の自由貿易戦争でフランスと交戦しているベレンの塔の絵です。
こんな感じで使われてたんだね。
というか、こんな激しい打ち合いをしたのに現在も美しいその姿で残ってるベレンの塔にもビックリ( ゚Д゚)!


次回はベレンの塔の他のフロアに向かっていきましょう!

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