レガイラ宮殿は「シントラの文化的景観」として世界遺産に登録されているところんです。
長い歴史の中でつくられてきた庭と宮殿。
今回は庭の写真と共に、入場の時にもらったパンフレットからその歴史を見てみましょう!
1697年ポルトガルの地となり、1817年には"Quinta da Torre(5番目の塔)"として知られた場所になっていました。
1840年の夏の終わりごろ、レガイラ男爵夫人がここを購入しお城みたいな家と素敵な教会にしました。
1893年、大金持ちのアントニオ・オーギュスト デ カルベイリョ・モンテイロ(Monteiro de Almeida)がオークションで落札。
(海外のサイトを見ると女の人のようです。このお金持も侯爵夫人とかだったのかなぁ?)
ここからさらなる増改築が始まります!
1895-1896年、フランスのネオゴシックの家と庭の最初のデザインを建築家アンリ・ルソーがつくりますが、作業は中断してしまいます。
1898-1900年にイタリアのルイジ・マニーニという建築家が後を引き継ぎます。この時に馬車置き場を造りました。(その前はみんな馬車をどうしてたんでしょうね?)
1904-1911年の間に、集中的に工事が行われました。家と教会の豪華な装飾はその時に完成したんです。
レガイラ宮殿の見どころでもある錬金術の部屋、石積み、テンプル騎士団の紋章、そしてローマ、ゴシック、ルネサンス、マニュエルの様式を取り入れたのはこのマニーニでした。
1946年にオルデマー・ジラルデイがレガイラ宮殿を購入ます。
彼はレガイラ宮殿の周辺の土地を買いまくり今の大きな敷地のレガイラ宮殿を作りあげるのです。
時は経ち、1987年になんと日本の”Aoki”という企業がレガイラ宮殿を購入!
(Aokiという企業名しかわからず。どんな会社が購入したんでしょう??)
ポルトガルでは文化遺産を守ろう!という動きもあり、1997年にシントラの自治体が管理することになります。
シントラの文化遺産を守る会みたいなのがあって、修復などした後1998年6月27日に一般公開が始まりました。
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追記:Aokiという企業が購入したために住宅としての機能を果たさず公的にも立ち入りを禁止されてしまいました。そのため、10年放置されたレガイラ宮殿をシントラ市ががんばって修復したようです。
ちょうど日本はバブル景気の頃なので、資産として購入したのかもしれないですね。
にしても、もし放置しっぱなし立ち入り禁止でほったらかしにしていたんだとしたら、悲しいなぁ…(;´・ω・)
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パンフレットに書いてあった年表を頑張って日本語に訳してみました(レガイラ宮殿のwikiがなかったので)。もし間違いがあったり、Aokiという会社の詳細などわかる方いらっしゃいましたら教えてもれえると嬉しいです( *´艸`)
次回はレガイラ宮殿で有名なアソコの紹介です!
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