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2017/08/24

430年…天正遣欧少年使節&平成遣欧使節とローマ教皇の話

1580年。
イエズス会巡察師のヴァリニャーノによって、日本で初めての西洋学校「有馬のセミナリヨ」が長崎県に設立されました。

上図が有馬、下図が安土のセミナリヨ

その時の生徒が天正遣欧少年使節として有名な伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノです。

さて、その学校が今もあることをご存知でしょうか!?
2011年から「有馬のセミナリヨ」の再現授業が行われているのです!
しかも、当時「有馬のセミナリヨ」に通っていた生徒と同じ年代で、同じ日程でラテン語や西洋音楽を学ぶという内容。

長崎県の子しか行けないようだけど、私も中学生くらいだったら行きたかったなぁ…

2016/10/15

ポルトガル トマール【世界遺産のキリスト修道院へ!まさかの桜!?と南門】

2016/04/25(月)ポルトガル旅行7日目。
ご飯を食べて元気になったので、世界遺産のキリスト修道院に入っていきましょう!
こちらがキルスト修道院に行く入り口(城壁の門)
たぶん、この入り口以外に一般に開いている入り口はないと思う。
この門をくぐるまで、実は修道院の感じがわからない(登ってくる方面からだと、修道院のほんの一部しか見えない)ので結構ドキドキです!


門をくぐって少し進むと、むちゃくちゃ広い!
奥にはお城のような城砦のようなキリスト修道院が建っています!
12世紀に建てられ、16世紀までの500年という長い時間にわたって増改築が行われてきたキリスト修道院!
最初に建てられたころは、頑丈な城塞も兼ねて建てられたんだって。
これが建てられたときは、まだポルトガルはリスボンまで広がってないのかもしれないね。


大航海時代の初期も初期、そのはじまりからポルトガルを支え続けてきた場所でもあるキリスト修道院。
大航海時代、南蛮貿易の名残でしょうか?
桜が満開!?
と、感動していたのに帰って調べたらなんとアーモンドの花でした(;´∀`)
ものすごく、桜の花と色も形もそっくりで見間違えてしまいました。。。。実は花の咲いてる場所が桜とは違うんですよ。


外から歩いてきたときに見えていた城壁を内側から。
すごい頑丈そうな造りです。
今は使われていないからか、その昔は屋根があったようなアーチが見えます。

2016/09/15

ポルトガル5日目 ギマランイス(Guimarães)【レンガの煙突が立ち並ぶブラガンサ公爵館!】

2016/04/23(土)ポルトガル旅行5日目。
やってきました、ブラガンサ公爵館!
正面の入り口から入ったとこは中庭?が広がっています。
本日は雨が降ったりやんだりなので、ビニールシートが。
イベントがあるのか、赤い絨毯に椅子がなべられていました。


ブラガンサ公爵館内にあるこの入り口!
そうトイレ!
お手洗いもなんだか中世な感じでドキドキ!


お手洗いまで行く通路の壁に飾られていた世界地図。
大航海時代!南蛮!コショウ!な感じですね(*´∀`*)
そしてちゃんと日本が描かれていました!


上の写真であった、中庭を囲む通路にあるたくさんの扉にひとつ。
ポルトガル語でなんか書いてあったんだけど、とにかくまぁ、古い?ものみたいです。

2016/09/08

オビドスの中世市場(Medieval Market)大航海時代!本日最後のイベント編

2016/07/17(日)オビドスの中世市場(Medieval Market)会場内
この日最後のイベントです!0時まで音楽に合わせて最後に飲んで騒いで踊って!


いろんなところにいた会場に人が集まってきます。
中にはよーーーーく見ると着替えをしたオビドスの中世市場(Medieval Market)の住人もいましたw
みんな飲んで騒いで踊るのが大好き!なんだろうなぁw


席のあちらこちらで好きに踊って楽しんでいます(*´∀`*)!
私もカメラを片手に☆-(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエーイ


「みんな!最後だから盛り上がっていくぜ!」
な掛け声はありませんでしたが、会場はそんなノリ!

2016/07/11

ポルトガル4日目 ポルト【カステラ求めて気ままにあるけば高台へ】

2016/04/21(木)ポルトガル旅行4日目。
この辺りで実はPR大使がポルトガルに行っている、ということで信長の野望オンラインの方から「本場の金平糖とカステラを見かけましたらっ!」というツイートをいただきました(*´∀`*)
まずはブラブラとカステラ探しから始めることにします。
(パン屋がいたるとこにあるので、すぐ見つかると思って。)

街中をブラブラ。
アズレージョきれいな壁だなぁ(*´ω`*)と写真を撮るとこっちに向かってくるうみねこの姿が。
「あ、うみねこ。」
と気をとられていたら背後からこっちに向かってきていた鳩が頭に着地Σ(´∀`;)



道を歩いてたら今度はうみねこが頭を狙ってきます!
なぜだ!なぜ狙われてるんだぁぁぁぁ!!
足早に道を曲がったりなんだりしていたら、ちょっと(?)迷子に…
こ、ここはどこ??



とにかく歩いていたら、視界が急に開け高台に出ました!
地元の人が犬を散歩したりお昼寝したりと、本当に”地元っこ”な場所。

ものすごく見晴らしがよくて、すごいきれいなポルトの町を見渡せる場所でした!
またたどり着ける気がしない・・・w



この高台は、写真を撮らなかったけど”元”教会か修道院の庭のようです。
この写真をとるときに廃墟になった教会を背にしています。

2016/06/27

ポルトガル4日目 ポルト【大航海時代!エンリケ航海王子の生まれた家とエンリケ伝説】

2016/04/21(木)ポルトガル旅行4日目。
エンリケ航海王子の生まれた家:Casa do Infanteですが、奥のほうは大航海時代の歴史について解説しているコーナーになります。

大航海時代とは~みたいな説明の文章のあとに、様々な展示物が。
下の写真はその中のひとつ、昔のコイン。
1372年~1706年に使われていたそれぞれの時代のコインです。
今で言うとどのくらいの価格のコインなんだろう??
というか、1300年代から(もしかしたらもっと昔から?)市民はみんな普通にコインを使っていたのかな??



エンリケ航海王子がセウタ攻略をしたのが大航海時代の幕開けとなるんだけど、そのセウタ攻略はこのポルトの港から出航したそうです。
その頃…というか、大航海時代の始まるころの歴史から詳細な解説が始まります。

上の馬とか鶏の絵のある窓は、当時のポルトの町並みをCGにて再現してました。
賑やかそうな町!

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大きなタイトルの下に”Porto in Henry's time”ってあるんだけど、ヘンリーって誰?
もしや17世紀にその名をとどろかせたヘンリー・モーガン:Henry Morgan!?って思ったんだけど、そんな訳がない。
じゃぁ、と調べてみるとエンリケ航海王子のことみたい。

エンリケ航海王子はポルトガル語で”Infante Dom Henrique(エンリケ王子)”が名なんです。

これがポルトガル語ではなく英語読みになると
”Prince Henry the Navigator(ヘンリー航海王子)”に。(ポルトガル語はHを発音しないからね。)

というわけでした。
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大航海時代の幕開けから、今も残る資料や文章とあわせて説明がされています。
下の写真の地図は”SEPTA”って書いてあるんだけど、これ”セウタ”の港なんです。



展示はどんどん時間が進み、南蛮の時代へ!
向かって右上に見える島が九州です!!
南蛮…とはいいましたが朝鮮、中国、東南アジアまでは結構細かく紹介されているのですが、「いざ、日本!」というとこで終了します(´・ω・`)



本当は見終わった後、チケット購入したとこに行くと記念シールがもらえるらしいのですが、人が多くて忙しそうだったので、そのままエンリケ航海王子の生まれた家:Casa do Infante(現、公文書館)を後にします。

おまけで、エンリケ航海王子の伝説を1つ。
日本でも有名なポルトガル人の一人、エンリケ航海王子ですが、その伝説を日本に広めた人がいます。
1人は哲学者としても著名な和辻哲郎さん。


 「鎖国-日本の悲劇」の中でエンリケ航海王子のことを
サン・ヴィンセンテ岬サグレスの城に住み、そこに最初の天文台、海軍兵器廠、天文現象世界地理などを観察叙述するコスモグラフィーの学校を創立して、ポルトガルの科学力をことごとくここに終結しようと努力した。
と紹介しています。

ちなみにここがサグレス。ポルトガルの南方に位置し、ファーロに近い場所。


もう1人がサグレスを訪れた司馬遼太郎が「南蛮のみちⅡ」で
あらためて岬の地形を見、天測の練習に仰いだであろう大きな空を見たとき、ここにはたしかに世界最初の航海学校があった、とゆるがぬ実感を得た。
と書いています。


有名人の2人がこうやって紹介したら、そりゃエンリケ航海王子有名になっちゃうよね!

だけど、1959年ポルトガル人のドゥアルテ・レイテの研究でサグレスに海洋学校がなかったことが実証されているんです。
エンリケ航海王子がすごい人だったのは確かなのだけれど。



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2016/06/17

ポルトガル4日目 ポルト【Palacio da Bolsa:ボルサ宮の紋章の間と徳川の葵紋】

2016/04/21(木)ポルトガル旅行4日目。
入ってすぐのエントランス!
ポルトガルの紋章を囲んで、ポルト市が当時商業的に関係の深かった19カ国の紋章
オーストリア=ハンガリー帝国、ペルシア、ザクセン、イタリア、フランス、オランダ、ベルギー、デンマーク、スウェーデン、ギリシア、ロシア、英国、スイス、ドイツ、メキシコ、米国、アルゼンチン、ブラジル、スペイン
が描かれています。



以前の記事にも書いたのですが【以前の記事はこちら】、この部屋で昨年(2015年)紋章の修復中に、現在描かれている紋章の下に「徳川の葵紋」が描かれていることがわかったんです。

いった日も修復…というかもう片付けの段階かもしれないけど、上の紋章のところまで足場を組んでいるところがありました。



江戸幕府は、1860年にポルトガルと修好通商条約を締結しているんですね。
その関係で、1865年に旧クリスタル宮殿で開催されたポルト国際博覧会に徳川家から大勢の使節が送られた際に「葵紋」は描かれたそう。
何十人もの人が送られたらしいんだけど、江戸時代の徳川の人が立っただろう場所に自分も立ってるって、なんだか不思議な感じ!

ガイドさんの話だと下の写真の紋章のあたり。
ポルトガル国王フェルナンド2世の出生地であるザクセン王国の紋章の下だそうです。



朝1番か2番のツアーということもあって、参加者は私を入れて7人ほど。
参加者とツアーガイドさんをパシャリ。
紋章の下のドアのとこなんだけど、大きさわかるかな?



豪華な紋章の間の説明が一通り終わり、次の部屋へと向かいます!
下は1階正面より紋章の間を囲むように伸びる回廊ですぞ(*´ω`*)




2016/06/05

ポルトガル3日目 ポルト【続!クレリゴス修道院】

2016/04/20(水)ポルトガル旅行3日目。
前回に続いてクレリゴス修道院の中の展示物の紹介です!
正面入り口の真上あたりの通路に展示してあったのなんだけど。。。なんだろう?w



司祭様の法衣。形で位とかが違うのかな??よくわかんないけど。
意外に法衣って派手なんだなぁとマジマジみてしまいましたwもっと地味なのかと思ってたw



こちらは中世(ちょうど大航海時代かな)に使われていた銀食器など。




銀食器じゃないくて、銀細工。。。で言い方あってるかな?
ティアラみたいなのは、司祭様がつけたのかな??



古い時計なんだけど、中国の時計なんだって!(なかは違うと思うけど)
よく見ると時計のデザインがアジアだー!



次回も展示物が続きます!




2016/05/11

ポルトガル2日目 コインブラ【コインブラ大学番外編】

2016/04/20(水)ポルトガル旅行2日目。
デジカメのほうの写真が追加で出てきたので、番外編でご紹介!

コインブラ大学から植物園方面にある水道橋。ポルトガルにはまだまだ生活の一部として使われている水道橋がたくさんあるのです!



日産のリーフ、これめっちゃ見た。これ大学だけど、リスボンの街中にもめっちゃ充電器あって、停めてる人たくさんみた。日産なのに国内より遭遇率が高いなんて・・

日産のリーフなんだけど、コインブラやリスボン…と結構見かけるんです。
で、日産の方に聞いてみたら
「スペインとイギリスに工場があるからじゃないかな?」
と言ってました。

調べてみたらUK工場ではリーフ作ってるみたいだね。
EU圏は日本よりも電気自動車とかに力を入れてるので、かなりの数の電気自動車の充電器を見かけます。
路上駐車!?と思うような(路上駐車は普通なの)場所、普通に車が通る道路沿いに充電器が並んでたり。
あと、補助金?も手厚いっぽい。
日本ももうちょっと電気自動車用の充電スポットが町中に広がればいいのになぁ…



大学構内のアズレージョ。船が描かれてますがよく見ると、津波みたいになって町を襲ってるように見えるんだよね。リスボン大地震(以前リスボン大地震について書いてるので興味のあるからは読んでみてください)を描いてるのかもしれない。


やっぱり、描かれている町はリスボンじゃなくてコインブラなのかな?
コインブラの町の目の前にはモンデゴ川(Rio Mondego)という大きい川が流れているので、川を上ってきた津波が町を襲った様子なのかも…

そう思うと、本当に地震とか津波とか…怖いよね(;´・ω・)



大学の帽子の間を囲む、ラテン回廊!
ラテンっていう名前がついてるから何か仕掛けが!?それとも当時はラテンな踊りを踊らないと通れない通路とか!?
なんて思いきや、普通の通路なのですよ。
手前は別の通路(真ん中くらいからラテン回廊)なんだけど、増築でもしかしたら回廊が伸びたのかもしれないなぁ、と妄想。

ちなみにラテン回、当時の生徒たちはこの回廊では”ラテン語しか話してはいけない”という決まりがあったんだって。それで、ラテン回廊という名前がついたそうです。
今のコインブラ大学の学生はどんな言葉で話して回廊を歩いても大丈夫だと思うけどw


余談でありますが、ギターを弾きながら歌うファド(日本の演歌みたいな?)ですが、有名な奏者や歌手はこのコインブラ大学出身者が多いんです。
音楽学科があるのかな?
古き良きものを引き継ぐ若い学生たちを、古い建物の中で感じることができるのも実際に使われてる大学を見学できてるからなのかもね。

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2016/03/12

天ぷらとポルトガル語の意外なつながりは大航海時代にアリ!

ダ・ヴィンチニュースの記事で
「ケチャップは何語? 天ぷらの起源はどこ? 七面鳥はなぜターキーなの? 食にまつわる人類史」
という内容が面白かったのでご紹介です。

以前にもポルトガル語源の日本語などを紹介ましたが今回は天ぷらの話。

天ぷらの語源となったといわれる言葉は、ポルトガル語で「tempero(調味料)(temperar(調理する))」と言われてています。

調味料の意味がなぜ天ぷらに(?д?)

実は大海原を駆けた大航海時代に理由があるそうです。

初めは調味料にたっぷりお肉などつけた料理
 ↓
船乗りたちによってこれが小麦粉で揚げた調理に
 ↓
ヨーロッパ中にレシピが広がる
 ↓
そして、日本に渡って天ぷらになる
(詳細はダ・ヴィンチニュースの記事の記事をご覧ください)


ウィキペディアの天ぷらの項目には
16世紀には、南蛮料理を祖とする「長崎天ぷら」が誕生している。これは衣に砂糖、塩、酒を加えラードで揚げるもので、味の強い衣であるため何もつけずに食するものであった。これが17世紀に関西に渡り、野菜を中心としたタネをラードに代わりごま油などの植物油で揚げる「つけ揚げ」に発展する。そして江戸幕府開府とともに天ぷらは江戸に進出、日本橋の魚河岸で商われる魚介類をごま油で揚げる「ゴマ揚げ」として庶民のあいだに浸透していったといわれている。
と書いてあります。

南蛮料理が入るまでに油で揚げる天ぷらに似た料理はあったそうですが、どんな味だったのだろうね?
やっぱり今の天ぷらと大きく違うんだろうか??

にゃんもは天ぷら大好きなので、大航海時代に日本に来てくれてありがとー(*´∀`*)!
色んな文化を運んでくれてありがとー(*´∀`*)なのです。



('A`)<相変わらずザックリな記事しか書いてないという……