2016/06/17

ポルトガル4日目 ポルト【Palacio da Bolsa:ボルサ宮の紋章の間と徳川の葵紋】

2016/04/21(木)ポルトガル旅行4日目。
入ってすぐのエントランス!
ポルトガルの紋章を囲んで、ポルト市が当時商業的に関係の深かった19カ国の紋章
オーストリア=ハンガリー帝国、ペルシア、ザクセン、イタリア、フランス、オランダ、ベルギー、デンマーク、スウェーデン、ギリシア、ロシア、英国、スイス、ドイツ、メキシコ、米国、アルゼンチン、ブラジル、スペイン
が描かれています。



以前の記事にも書いたのですが【以前の記事はこちら】、この部屋で昨年(2015年)紋章の修復中に、現在描かれている紋章の下に「徳川の葵紋」が描かれていることがわかったんです。

いった日も修復…というかもう片付けの段階かもしれないけど、上の紋章のところまで足場を組んでいるところがありました。



江戸幕府は、1860年にポルトガルと修好通商条約を締結しているんですね。
その関係で、1865年に旧クリスタル宮殿で開催されたポルト国際博覧会に徳川家から大勢の使節が送られた際に「葵紋」は描かれたそう。
何十人もの人が送られたらしいんだけど、江戸時代の徳川の人が立っただろう場所に自分も立ってるって、なんだか不思議な感じ!

ガイドさんの話だと下の写真の紋章のあたり。
ポルトガル国王フェルナンド2世の出生地であるザクセン王国の紋章の下だそうです。



朝1番か2番のツアーということもあって、参加者は私を入れて7人ほど。
参加者とツアーガイドさんをパシャリ。
紋章の下のドアのとこなんだけど、大きさわかるかな?



豪華な紋章の間の説明が一通り終わり、次の部屋へと向かいます!
下は1階正面より紋章の間を囲むように伸びる回廊ですぞ(*´ω`*)







関係ないけど何を思ったのかPR大使で行ったときにボルサ宮のことを「ポルサ宮」っていってたww
ツイッターで嘘書いてますwwすみません(;^ω^)
なんで、ボルサをポルサって思ってたんだろう??

紋章の間ではガイドさんが一通り説明した後に、参加してる人たちの出身国を聞いてきます。
イングランドはあの紋章よ、って風に。

少し前までは「日本の紋章はないの。」だったのが、今回いった時には「紋章の修復中に徳川の家紋があのあたりの下から出てきたのよ。現在も色々調査中なの。詳細は興味があったらインターネットで調べてみて。」といわれました。

本当に見つかったんだぁ、と感無量になってしまった私w
2015年の…いつだったかな?日本の大学に問い合わせと調査依頼が…とニュースになってたんだけどね。


0 件のコメント:

コメントを投稿