2016/10/20

ポルトガル トマール【世界遺産のキリスト修道院のマヌエル様式の窓やミシャの回廊と当時の台所】

2016/04/25(月)ポルトガル旅行7日目。
前の記事で書いた、修道女の寝室の並ぶ廊下を歩いていたら、一室からマヌエル様式の窓が真正面に見えるではないですか!!

上にはキリスト騎士団(前の記事で書いたテンプル騎士団の後の騎士団)のマルタ十字と国の紋章。
そして大航海時代を象徴するサンゴやロープ、鎖などが彫られています。
下にはインド航路を開拓し大航海時代の黄金期を築き上げたポルトガル王マヌエル1世の「M」が彫られています。


マヌエル様式の窓を見て、のんびりと寝室の並ぶ廊下(ここが本当に長い廊下!)を歩き、主回廊の1階にやってきました。
想像以上に広く、大きいキリスト修道院!
当時はどれだけの人がここで生活をして、どんな感じだったんだろう?と思うんだけど、あまりの大きさ(寝室の数も多いし、本当に全ての規模が大きい!)に想像も付かない…


ふと、裏に入って見上げると雨などを流すための排水?の口が。
大砲の形になっていたので、もしかしたら古くに造られたものなのかも??
ちなみにリスボンのジェロニモス修道院の排水の口(広間から見上げたところにある)は大航海時代の象徴として、世界中の動物がモチーフになってるんですよ。
もしかしたら、トマールのキリスト修道院も大航海時代の排水口は動物だったかもしれない。


1階の部屋に入ってみると、そこは食堂でした。
ながーーーーーーーーーーーーーーーい机に、たくさんの椅子が並んでいます。
それだけ多くの人がこのキリスト修道院で生活していたってことなんだなぁ。

配膳?用のカウンターらしきもの。
使い込まれた感じがやっぱするよね(当たり前なんだけど)
石造りのものとかしか、大きなテーブルとかしか残っていなくて、棚とか食器とか…当時のものが生活のまま飾られていたら、面白いのになぁ、とないものねだりw


こちらは、かまどかな?
日本みたいにお米を炊いたりしていたのかな?(現在ポルトガルでは結構お米が食べられている)
それとも大なべで大量のスープを作ったりしていたのかな??
当時の修道女たちはどんな食事だったんだろう??
ここで作られた食事は、エンリケ航海王子も口にしたことがあったのだろうか??


ミシャの回廊の西側にあるめっちゃ大きなカマド!
比較するものがないけど、本当に大きな部屋なんだけど、ここにあるのはカマドのみ。
それは当時このカマドで焼かれたパンをミシャの回廊で、貧しい人々に配られたからなんだって。
現在のトマールはお世辞にも賑やかな、人の多い町をはいえないけど昔は大勢の人が住んでいたのかもしれないね。

余談。
トマールはポルトガルの中でも、最初に産業化が始まった地域だったんです。
女王マリア1世の時代には、王室の庇護を受けた織物工場が建てられ、近くのナバオン川の水流を生かし、製紙、鋳造、ガラス、絹、石鹸加工などの工場が多く建設されました。
その後の半島戦争を経て1834年、キリスト騎士団を含めた全ての騎士団がトマールから消滅します。
それでもポルトガルの工業、商業の中心だったトマールなのですが、近代に入りその多くの工場は閉鎖されました。




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