2016/10/16

ポルトガル トマール【世界遺産のキリスト修道院の沐浴の回廊とエンリケ航海王子の住居であった宮殿跡】

2016/04/25(月)ポルトガル旅行7日目。
窓口で入場券を購入して中に入ります!
入ってすぐ、アズレージョの綺麗な回廊が!
しかも、日陰だから?かすごく涼しいです(*´∀`*)
しん、と静まり返った回廊に立ってると、なんだか心が洗われるようですw(早速)


ここは沐浴の回廊(Claustro da Lavagem)。
昔は貯水池があって、修道士達が洗濯や沐浴を行っていた場所なんです(今は貯水池の感じはどこにも見当たりません)。
貯水池の周りに回廊を作った、が正解かな?

そしてこの写真の奥の窓から見える場所!
大航海時代ファンにはぜひここを見てほしい場所ですよ!


大航海時代を切り開いたエンリケ航海王子が住んでいた宮殿の跡。
現在は廃墟になってしまっていて、この沐浴の回廊の窓からしか眺めることしかできません。

エンリケ航海王子は1420年から(1394年3月4日生まれなので、だいたい26歳くらいから)40年ここで暮らしていました。
1420年から40年後…1460年。
エンリケ航海王子は1460年11月13日没なんです。
ではこの宮殿で亡くなったのかな?と思ったんだけど、日本語Wikiのエンリケ航海王子のページには「王子の村」で亡くなったと記載されています。

ポルトでエンリケ航海王子の家に行ったときのブログで少し書いたんだけど、この「王子の村」はサンヴィセンテ岬のサグレスに建てた、造船所、天体観測所、航海術や地図製作術を学ぶ海洋学校があった場所なんです。
学校は無かったと前のブログで書いたように証明されているんだよね。
もちろん村の存在を否定できる要素はなにもないんだけど、なんとなく私はエンリケ航海王子ととても関係の深かったキリスト修道院で死期を迎えたんじゃないかなぁ、と思ったり。


沐浴の回廊の貯水池があったところ。
井戸っぽいのがあるんだけど、まったく使われていないみたい。
この中に水が張られていたのかなぁ?


下の写真の場所は「墓の回廊」というなんともホラーな名前の場所。
ちなみに墓の回廊(Clauatro do Cemiterio)は15世紀にエンリケ航海王子が増築したゴシック様式の回廊。沐浴の回廊とは違ったデザインのアズレージョで彩られているんだけど、こりらのアズレージョは17世紀の改装でつけられたんだって。
墓の名が付くとおり、修道士たちのお墓でもある場所。


さて、この次は私的にこのキリスト修道院で一番メイン!の場所に向かいます!
上で書いたけど、エンリケ航海王子はなぜこのキリスト修道院と繋がりが深かったと思うのか?
そして、テンプル騎士団との関係!
なぜ、大航海時代の始まりからキリスト修道院が支えてきたのか?
そんなお話を、次の場所でしていきましょ~!



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