2016/03/07

リスボンの今と昔を隔てるリスボン大地震

今回は地震の話です。苦手な方はスルーして下さい。




1755年11月1日、諸聖人の日(カトリックの祭日)
9時40分、推定マグネチュード8.5~9.0、震源はサン・ヴィセンテ岬の西南西約200kmと推定される大地震がポルトガルのリスボンを中心に襲いました。

リスボン街は1週間近く火が消えず、人口の約2/3の人々の命を奪ったといわれています。

WIKIより:震災直後のリスボンの街
この日の早朝から用事でリスボンをたまたま離れていたポルトガル国王は急いで戻り、リスボンの街を見ます。その変わり果てた街に大きく心を痛め、復興してもなお死ぬまでテント暮らしをしたそうです。

この地震でリスボンの街の建物の約80%以上が破壊されました。(その後の火事などの被害を含む数です)
建物だけではなく所蔵されていた数々の名画や楽譜も失われました。

その中には王立文書館があり、ヴァスコ・ダ・ガマを含む大航海時代初期からの航海者たちが残していた詳細な記録も含まれていました。

たくさんの人々の命が失われたこと、そしてポルトガルの人々が愛し尊敬した功労者たちの残したものが失われたこと、残念でなりません。



リスボン大地震のことを書くことに悩みました。
現在のリスボンに訪れる際に建物や町並みなどはこのリスボン大地震を境に大きく変わっているので、「なんで変わったの?」の疑問を解く鍵として書きました。








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