2016/03/15

リスボン大地震からの復興と現在まで受け継がれるもの

以前に書いたリスボン大地震からの復興の話

リスボン大地震からの復興の中で、現在まで受け継がれるもの、そして世界初となったものもたくさんあります。
それはどんなものだったのでしょうか?


世界的な国家支援
リスボンには世界各国からさまざまな人々が暮らしていました。
リスボン大地震の後、祖国の家族に現状をしらせる手紙を送っていたのです。
それを受けた家族から国へと話が伝わり、国家としての大規模支援が行われました。
様々な国から集まった援助の品はすぐにリスボンに届けられ(大艦隊で届けたそうです)、被災した方々の多くの人の命を救いました。

現在も行われている国家支援の最初とも言われています。


耐震構造
また同じような地震がきた時に国の人々をどう守るか?
新しい街には地震に耐えうる構造の建物が求められました。
ミニチュアの模型をつくり何十人という兵士に一斉に足踏みさせ人口的な地震をつくり、ミニチュアの建物が耐えうるか何度も何度も実験した結果!
このような構造がうまれたのです。



現在も「リスボン大学」に保存されている鳥かご様式のミニチュア、どこかで見たような気がしませんか?
耐震構造で学校などの側面に追加された×の構造ににてる…と思うのは私だけなのでしょうか?


地震学
耐震構造とあわせ行われたのが国中の教区に

  • 地震はどのくらい続いたか
  • 余震は何回感じたか
  • 井戸や水穴に変化は起こったか
  • 例えば南北方向に強く揺れたというふうに、地震の揺れに特定の方向はあったか。建物の崩壊でも、特に一方向に崩れるということはあったか

などなど。何十項目に渡る質問状を送り、教職者達の回答をまとめあげました。
国家として正式な質問状を送ったのはこれが世界初といわれ、客観的に地震の原因を調べようとしたのは近代の地震学の先駆けと言われています。





('A`)<近代日本においてこの時から始まった地震学はなくてはならないものだね。










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